ブリーデング白老牧場創業者


阿部 正春


その人生とあべ牛


-激動の人生とひたむきに挑戦し続けた生涯-

母・ミサに抱えられる正春

貧しかった
幼少時代

昭和7年12月20日、16人兄弟の15番目として誕生

 白老に畜産業を営む両親(父・半次郎 母・ミサ) のもと16人兄妹の15番目として誕生。
家は決して裕福とは言えず、小学校(当時は尋常学校)にも、ほとんど行くことができませんでした。
お腹が減ったり、病気になるといつも地元のアイヌの人たちが助けてくれ、 この頃の体験が後に大きく活かされることとなります。

大工の道へ

丁稚奉公で寝る間を惜しんで働く

 尋常小学校を卒業すると、幼くして炭焼きの家へ丁稚奉公(でっちぼうこう)へ出されました。
その後、持ち前の手先の器用さを活かし、大工になることを決心。安井建設へ弟子入りします。
仕事は盗んで覚える時代、面倒を見てくれた兄弟子たちとともに、寝る間を惜しんで働き、技術を身に着けた正春は 若くして大工としての頭角を表します。19歳という年齢で棟梁を任され、25歳のころには大工として独立します。
このころ、妻 静子と結婚。子供も誕生し大忙し。 しかしその後、心臓弁膜症を発症。大工の道は諦めることとなりますが、経験や器用さを活かし、木彫りの熊などの民芸品を生産する木工芸会社を設立。当時、日本では北海道観光ブーム。それも相まってか、プラスチックを材料とした木彫りの熊がお土産用として大ヒット!

23歳のころ
最初は養豚からスタート

夢だった畜産

養豚、鶏肉の加工 そして牧場建設へ

 若いころから畜産(牧場)をやりたいという夢があった正春は、大工時代からの貯蓄と木工芸で得た利益をもとに、 昭和47年9月に阿部牛肉加工株式会社を設立。
その後昭和50年3月、ついに幼いころの夢であった牧場を建設しました。
建設時、正春は40歳。白老の自然豊かな山を開拓し、牧場の建物や設備を大工だった自らの手で作り上げました。 最初は養豚事業からスタートし、徐々に事業を拡大・和牛肥育事業へとシフトしていきます。

狂牛病問題に
直面

創業時から大切にしてきた「食の安心」が見直される

最初は白老牛6頭の肥育からスタートした牧場の事業も拡大し、肥育頭数300頭を超え、順調かと思われた矢先の平成13年秋、国内で初めての狂牛病感染が発生。感染の発生していない当牧場も大きな打撃を受け、さらに肉の産地偽装問題も社会問題となるなか、約1か月半ほど牛肉がまったく売れない時期が続きました。
そんな中正春は積極的にテレビ・マスコミの取材を受け、「食の安全性」について世間へと訴えかけました。
また同時に、自分自身が創業当時から大切にしてきた、いかにして安全な食品を作るかということをアピール。 当時はまだ広く認知されていなかった「食品トレーサビリティ制度」の発起人として協会に所属し、自社だけでなく日本社会全体の食の安全性・透明化の必要性について、業界に大きく働きかけました。 「食品を作っているという意識で牛を育てる」、これが正春の口癖でした。

連日、テレビの取材に応じるようす
三國シェフ(中央右)とともに

洞爺湖サミットと
あべ牛

日本を代表するフレンチの巨匠・三國シェフに認められたあべ牛のおいしさ

 BSE問題後もひたむきに牛を育てていた正春のもとに、嬉しい連絡が舞い込みます。それは日本を代表するフレンチの巨匠・三國シェフからのものでした。独自の肥育方法や餌、3歳未満のメスの未経産牛にこだわっていた肉の味を世界レベルのプロが認めてくれた。正春にとって、これまでの苦労が吹き飛ぶ嬉しい出来事でした。 その上、平成20年に開催された洞爺湖サミット晩さん会にてあべ牛が抜擢され、おいしく調理されたお肉は世界の首脳たちからも高い評価を受けました。「苦しみを乗り越えたとき、必ず先が見えてくる」という信念とひたむきな仕事が、大きな結果をもたらした瞬間でした。

受け継がれる

激動の91年間、想いは孫へ受け継がれ

 晩年、正春は最愛の娘家族・孫たちとともに穏やかで幸せな生活を過ごしました。
そして長年手塩にかけて育ててきた牧場や牛たちを、令和6年春、孫にあたる曽我司が受け継ぎました。
これからも先代・阿部正春の想いや信念、食に関するこだわりはそのままに、時代のニーズに合った 安心・安全でおいしい食品を皆様にお届けできるよう、ひたむきに取り組んでいきます。

画面右・幼少時代の曽我司














阿部正春の人生

昭和7年12月20日 阿部正春 誕生
昭和27年4月 尋常小学校卒業
昭和27年10月 大工の道を目指し安井建築に丁稚奉公
昭和31年5月 先輩たちを抜いて4年で頭角を表し、棟梁となる
昭和32年2月 独立して建設事業を始める
昭和36年2月 阿部木工芸を立ち上げ、職人を育てて木彫りのクマなどを製造
昭和47年9月 阿部牛肉加工を設立(食品業界にシフト)
昭和48年6月 牛肉味噌漬けが贈答品でヒットする
昭和49年6月 親鶏の解体作業ラインを増設
昭和50年3月 牧場事業を立ち上げランドレース種豚導入(ブリーデング白老牧場)
昭和50年4月 養豚事業の豚舎増設(ブリーデング白老牧場)
昭和54年9月 豚肉カットライン増設
昭和55年4月 ラム加工ライン増設により増産体制に入る
昭和56年10月 第二工場増設
昭和62年9月 本社事務所および向上落成(アウトパックラインの新設)
昭和63年4月 牧場は和牛肥育事業にシフト(ブリーデング白老牧場)
平成4年6月 第三工場増設、落成(ミート惣菜増産体制)
平成5年5月 冷凍保管庫増設、落成
平成8年5月 牛枝肉処理室増設
平成12年3月 サラダ室増設(ミートサラダの増産体制)
平成16年8月 白老町工業団地に新本社工場建設着工
平成17年3月 新本社工場建設、落成(白老町工業団地に本社移転)
平成20年7月 洞爺湖サミットにて世界のVIPに「あべ牛」が提供される
平成24年3月 和牛繁殖事業を始めるs(ブリーデング白老牧場)
平成26年7月 あべ牛一貫生産体制整う(ブリーデング白老牧場)
平成26年8月 あべ牛ブランドの確立と飲食店との提携事業開始
令和6年3月 曽我司が二代目代表取締役に就任
 

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